こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます。林雄介です。
o(^▽^)o
競馬の八百長って難しいんですよ、騎手にやる気がなくても、馬が走っちゃうから…。
地方競馬では、何十年前に八百長があって、競馬関係者の待遇を改善したんですね。今は、地方競馬は厳しいですが…。
競輪は、人間がやるから八百長の誤解は招きやすいでしょうね。
本人達が八百長をやる気がなくても、このレースで負けたら生活がキツいとかそういう人情は働くかもしれません。
馬の血統と同じで、競輪は先輩、後輩関係を踏まえて予想するのが楽しいらしいです。
ただ、ギャンブルですからね。活動家が扇動して、観客が暴動を起こした時期があって、何十年前ですが、警官が発砲したことがあります、鎮圧のために…。
競輪史を読んでいて、凄い世界だなあと思いました。
さて、大相撲の八百長疑惑が問題になっています。
「難しい。」
というか、命懸けで闘って死人が出るような競技を見たくないし、モラルで八百長はダメといっていいかどうかわからないんですよ。
食の偽装はダメですよ、散々、役所も叩かれましたから、今は食の偽装は、厳しいよ、潰すところまでやるよ、昔と違って。
その理屈でいくと文部科学省もTOTOで八百長疑惑が起こると困るから、かなり厳しい処分をするかもしれません。
大相撲って、幕下は給料ないじゃないですか、10万弱育成費みたいなものがでるのかな?十両は、100万円なんですよ月収。横綱は基本給が3千万円ですが…。
ここまで、格差をつけると、スポーツだからと正々堂々やれと私は言えない。
アメリカのプロレスは脚本がありますよね。
競馬でも強く感じるのですが、職の代替性がないんですよ。転職が難しいということ。
スポーツは多かれ少なかれ、そういうところがありますが…。
私自身が、公務員を辞めてギャンブルな人生を送っていますから、他人のことをとやかくいえた義理ではありませんが、スポーツでも食べていき続けることを前提にしたシステムがいいと思うんですね。
ホワイトカラーでも、ブルーカラーでも、食べていき続けることを前提にライフワークを作るのは政治の仕事だと思います。
産業の構造転換が必ずありますから、これは個人レベルでは予防できない。できる人はいますけど、大多数の人は産業の構造転換に対応できないと思う。
日本の産業保護政策は、構造転換して、すでにコストパフォーマンス割れした産業の救済なんですね。根本的な解決ではない。
2つか3つ職能力があった方がいいと思うんですね。これは、市場では実現できない。企業に直接の利益がないから。
食べていくって、2つしか方法がないと思う。1つは、その分野のトップになること。1番なら、衰退した産業でも食べていけるでしょう。次が、複数の分野で2番手、3番手になること。
「1番手を作るのは難しい、一番、二番は相対的なものだから。」
全部、1番って無理ですよ。何個か一番手だったらいい。
「2番じゃダメなんでしょうか?」
1番になってくれればありがたいけど、重点的に予算配分を受けて国策として、「絶対に1番になれ」と言われた方が研究者もプレッシャーになると思うんですが…。
戦前のゼロ戦なんか、作る方、プレッシャーだったと思うんですか…。戦闘機の性能で負けたら国がなくなるわけですから。
今は、武器を使わない経済戦争をやっているんですね。国でも企業でも。
開発競争に負けたら、国がなくなりはしないでしょうが衰退します。
スポーツだから、大相撲、気にしないけれど、これ会社の実力給だったらどうなんでしょうね?。
大相撲でも、芸能でも例外なく最低賃金を適用して、生活給をベースにした方がいいんじゃないでしょうか?
生活給を保障した上での八百長ならモラルの問題ですが、10万円と100万円だったら八百長起こりますよ。
そもそも公益法人が稼げば勝ちみたいな給与体系を作ることに公益性があるかどうか疑問に思います。
今日もお疲れ様でした。ありがとうございます。
林雄介with,you。
「図解雑学・よくわかる政治のしくみ」、「図解雑学・よくわかる省庁のしくみ」(ナツメ社)、「絶対スキルアップする公務員の勉強法」、「絶対わかる法令・条例実務入門」、「ニッポンの農業」、「公務員の教科書〔算数・数学〕」(ぎょうせい)、「霞ヶ関の掟・官僚の舞台裏」(日本文芸社)、「この通りにすれば受験にうかる」(たちばな出版)